サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

 2010新年 「新年にかける、私の年賀状」

 2010新年 「新年にかける、私の年賀状」

①こんな日本にしたい―

とにかく国民の生活苦が長く続いているので、まともに働けば、ちゃんと生活できる収入があり、そこそこの税金、保険料をはらっても、安心して老後が過ごせ、人生全般にわたり、家族、地域全体がゆったりと過ごせるような日本にしたい。
 子どもが自由にのびのびと育ち、若い人が将来の自分に希望を持て、なんにでも挑戦できる世の中にしたい。
 何よりもこれ以上、生態系に負荷をかけない経済社会、工業も農林漁業も持続可能な社会への移行を実現したい。

②私の宝もの―

 少年期の思い出が一番の宝もの。どこの川のどこの淵で、どれぐらいの大きさのうなぎを取ったか、海にもぐってどこの瀬でどれくらいのあわびを取ったか、どこの砂浜どれだけ貝を掘ったか、どの谷でアケビをとったか、どこの山のどの辺でやまものの実をたべたか、どこの山のどの松の木の近くで何本のマツタケをとったか、今でも鮮明におぼえている。豊かだった自然に感謝している。

③ふるさと自慢―


 そんな少年期を過ごした天草郡苓北町坂瀬川。しかし今は、山も海も荒れ放題。松林もなくなり、貝もほとんどとれなくなった。昔はいなかったイノシシばかりが増える。豊かだったふるさとの山や川や海の自然を、むかしのように取りもどしたい。
 苓北町坂瀬川の海岸は、討伐軍から追われる天草四郎が島原の原城へと渡った地。重税、圧政への農民らの抵抗の地。戦後は、炭鉱があり労働組合や塵肺闘争も活発で、県下で最初に共産党議席が生まれたところ。そんな地で生まれ育ったことを誇りに思い、力にして頑張りたい。
(写真:よく釣りをした苓北町の隣の旧五和町の通詞島の灯台